ボディビル競技のレジェンド【山岸秀匡・やまぎし ひでただ】の歴史に筋肉記者(アナスペ)が迫る。スペシャルインタビュー「日本人レジェンドの歩み」
<聞き手=アナスペ>



招待ありがとうございます!
楽しみにしていました。



そんなビビんなくていいよ 笑
今、日本人初のIFBBって紹介いただいたんだけれども、これ結構誤解されてるんだけど日本人初のIFBB PROは、実は俺ではなくて「俺は、日本人初オリンピアのオープン出場と日本人初アーノルドクラシックに出場したのかな」
ウィキペディアでも初IFBB PROってなってるんだけれども、実際には初はちょっとどっちが先か定かではないんだけど「杉田茂(すぎた しげる)さんか須藤孝三(すどう こうぞう)さんなの」知ってる?



この二人がIFBB PROカードをとったはず。俺の記憶では・・・ってかまず間違いない
どっちが先かわかんないんだけどね



もう、プロの大会に出てる
お二人はユニバース優勝してるから、当時はユニバース優勝したらプロってなってたから、プロの大会に出てるのよ杉田さんは
ただ成績はちょっとわかんないんだけれども、その次にプロになったのは「石村勝己(いしむら かつみ)」さんって知ってる?



この人は、ずっとアメリカに住んでて俺が聞いたのは、結構遅い年齢でプロボディビルダーになって40歳か50歳くらいでボディビル始めたんじゃないかな
それでプロになってアメリカにずっといて、俺もアメリカに来た初めの頃、石村さんに仲良くさせて頂いたんだけれども
石村さんがおそらく3番目




そう、俺の前に4人いるのね
飯島ゆりえさんは女性でミスオリンピアにも出てる、Lenda Murrayが優勝した時に出てて
この4人の先駆者がいて、俺がIFBB PROになって(初出場)と言えばさっきも言った「オリンピアのオープンとアーノルドクラシック」石村さんは、オリンピアのマスターズ。ミスオリンピアは、ゆりえさんが出てるので

一応、これね。あんまり知られてないって言うか、やっぱり俺も先駆者の4人に対して失礼になっちゃうので、ここは言っておかないと
って事で「日本人5人目のIFBB PROだね、俺は」笑




学生時代とウェイトトレーニング

今日は、色々な事をお伺いしていきたいんですけれども
まず最初に「トレーニングとの出会い」は何がきっかけだったんですか?

トレーニングとの出会いは、高校時代のラグビーの補強
当時、ラグビーやってて体重が60キロぐらいで細かったんだけれども、スポーツをやってたので凄い筋肉質だったのね。で、子供の時からウェイトトレーニングと言うか身体には興味を持ってて
だから、腕立て伏せとか自重で出来るトレーニングと言うか遊びだね。そういうのは子供の頃からずっとやってたんだよ

それで高校に入ってラグビーを始めて、ラグビーで60キロだと当たった時に飛ばされちゃうから、それで単純に身体を大きくすると言う事でウェイトトレーニングを始めるんだよね
でも、ジムがあった訳ではなくて、グランドにバーベルとベンチがあってそれでベンチプレスを始めたら、すぐ身体が変わってきて
同時期に入った同級生も一緒にやってるんだけど、俺は圧倒的にこれが好きだったから暇さえあればベンチプレスをやってたね



60キロ上がった
大きなプレート2枚つけたら60キロじゃん、それで10回やって、すぐ80キロで10回は出来るようになったかな、もう毎日やってるから当時オーバーワークとかそういうの知らないでしょ

毎日やってると「筋肉がパンプしてる」って感じをすごく感じることが多くて
だからそれが楽しくて、ベンチプレスばっかりずっとやってた。それがトレーニングの始まりかな
雑誌で知った「ボディビルの世界」

ボディビルは、当時俺は札幌にいてその時まだ子供だったからジムとかそう言うの知らなかったのね
だから「そういったジムに行ってみたいな」ってのはあったけれども、やっぱりトレーニング始めたら色々と調べたくなるわけじゃない
当時は雑誌だから、本屋に行って読んでた時にそこに「MUSCLE&FITNESS」と「月刊ボディビルディング」があって、俺はMUSCLE&FITTNESSの表紙の人がかっこいいと思ったんだよね



俺、結構オールドスクールだから 笑
VINCE COMEFORDって80年代かな?忘れちゃったけど、ナショナルズのチャンピオンで「Blond Myth(金髪の超人)」って言って、「LEE PRIEST」より前のBlond Mythだな
要するに、LEE PRIESTより前のBlond Myth(金髪の超人)と言われた人で同じように身長は低いんだけれども、がっしりした感じでカッコよかったんだよ



調べてみます!僕、LEE PRIESTのフロントラットスプレッドした時の迫力が大好き過ぎて、ここになんでこんなに隙間がないんだろうって
こんなちっちゃいですよね、三角形が


彼(VINCE COMEFORD)を見て、俺はこういう風になりたいと思った
その時は、勿論ボディビルとか知らないけど、こういう身体になりたいと言うかこういう人がいるんだと思って

で、月刊ボディビルディング見たら、すごい失礼なんだけど俺わからないから、かっこいいと言うよりか「俺もこれぐらいの身体になるんじゃないのかな」って思ったの雑誌見て
だから、ボディビル知った当初からプロボディビルダーみたいな身体になりたかった。

で、本当は後で「こういう身体になるのも大変だ」って現実を知るわけなんだけれども、それが「ボディビルとの出会い」でその後、高校卒業して大学に行って、早稲田だからさラグビーやるってなったら人生を捧げるじゃないけど、ボディビルと同じで早稲田のラグビーやるんだったらラグビーに没頭しないと、早慶だからね
俺は、ラグビーをそこまでやる気はなくて「ボディビルやろう」って事になったの





まぁ、捧げようって思いがあったかはわからないけど、好きだったから
もうやっぱり「好きこそ物の上手なれ」で一日中筋肉の事を考えてたね



すいません、これ僕ウィキペディアの情報も入っているので年とかが違う可能性があるんですけど「2002年の時にプロ転向を決意した」と言うふうに書かれてあって、
その時にプロの道に進もうと思ったのは、どういった経緯でどういう思いで転向を決めたんですか?
アマチュアからプロ転向の経緯と思い

当時は、プロクオリファイアーってなかったから「日本の人がプロになるにはどうすればいいのか?」って言うのをまず調べようと思って、JBBFのルールブックを見たんだよね。そしたら「プロになるには、3つの条件のうち2つを達成すればいい」と、
その3つと言うのは、一つ目は(ミスター日本で優勝すること)・二つ目は(アジア大会で優勝すること)・三つ目は(世界選手権,ミスターユニバースで決勝に残ること)この中の2つを達成出来れば、IFBB PROカードに推薦しますと書いてあって
①日本選手権大会で優勝
②アジア選手権大会で優勝
③世界選手権大会で決勝進出
*3つの内2つを満たすこと

だから、俺はすぐ標準をこの3つに合わせたわけ「ミスター日本、アジア、世界選手権」これしか興味はなかったんだけれども、その為にはそれにクオリファイしなくちゃいけないから
最初、アジア大会出る為には日本クラス別というか日本体重別に出なくちゃいけなくて、これに優勝すればアジア大会に出ると言う事なんだよ

それに出るためのクオリファイをとる為に、東京で「東京オープン」って言われる新人戦があって、学生を卒業してからそれに出て優勝して、日本クラス別に出て優勝して、アジア大会に最初に出たのが99年かな
その翌年に俺は、アメリカに行って、その時は半年ぐらいの短期だったんだけれども、行って半年間トレーニングして帰ってきて、それが2000年で、その時にミスター日本でトップ3になったの
で、そのミスター日本でトップ3になったら、年末の世界選手権(ミスターユニバース)に選考されるってなってたから

それで世界選手権に出て今度は、決勝に進出したの
だから98年から俺、学生卒業して社会人として出てたんだけど、結構もう予定通りに進んだわけよ
「まずアジア出て、その時は4位だったかな、次ミスター日本3位なって、世界選手権出て決勝進んで」まずプロになる条件を一個クリアした

次は、じゃあアジアだって言って翌年の2001年アジア選手権で優勝したの
で、2001年にアジア優勝してその翌年に「プロにさせてください」って言ったの


