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「1シーズンに8試合ぐらい出てたね」プロボディビルダー(山岸秀匡さん)の当時の収入源とは!?筋肉記者アナスペが迫る。

ボディビル競技のレジェンド【山岸秀匡・やまぎし ひでただ】の歴史に筋肉記者(アナスペ)が迫る。スペシャルインタビュー「日本人レジェンドの歩み

筋肉記者(アナスペ) : 世界各国のコンテスト情報や選手の本音に迫るインタビューをお届けする「筋肥大する小部屋」を運営。YouTube登録者(1.64万人)を抱える。
「アマチュア時代・プロ時代(デビュー戦,ミロシュとの出会い,初めてのオリンピア)・プロのお金の話(契約や広告)・今だからこそ伝えいた話」これらの話題をお伺いし、山岸秀匡という人物は、現在に至るまでどのような人生を歩んできたのか、アナスペと共に深掘りしていく
  1. ボディビルとの出会い・アマチュア時代
  2. 師匠ミロシュ・シャルチェブとの出会い
本日のゲストは、数々の金字塔を打ち立ててきた「ビッグ・ヒデ」の愛称で愛される山岸秀匡さんです。

<聞き手=アナスペ>

【山岸秀匡・やまぎしひでただ】高校時代ラグビーの補強でウェイトトレーニングを始める。その後、早稲田大学への進学と同時にラグビー競技に一区切りをつけ、ボディビルの世界を目指す。学生時代に全日本学生ボディビル選手権で2連覇を果たすと卒業後には(IFBB PROオープンクラス日本人初出場・アーノルドクラシック日本人初出場、優勝・10回のオリンピア出場など)数々の金字塔を打ち立てる。ビッグ・ヒデの愛称で愛される日本のレジェンドである。

このページが一番最初だという方は、「ボディビルとの出会い・アマチュア時代」「プロデビュー戦・ミロシュコーチとの出会い」を見ていただくと、より楽しめる内容になっております!合わせてご覧ください。

今日もめちゃくちゃ濃い内容で初めて聞くお話が盛りだくさんです。それでは早速、始めさせていきましょう!

当時のプロボディビルダーの契約内容

アナスぺ

今となればSNSがあるので「選手が自ら発信したりアピールして人気になった選手はスポンサーがつく」っていう形はあると思うんですけれども

その当時のボディビルの事を考えると、SNSもなくて、それでどうやって企業とボディビルダーと言う選手としてプロの契約に至ったんですか?

山岸秀忠

SNSが出てくる前はもっとシンプルでOLYMPIAでトップ10に入ると、まぁシナリオとしては「サプリメントの会社がスポンサーにつく」って言う、既成事実って言ったら変だけどそのようなシステムになってたの

2015年「OLIYMPIA」左から2番目
アナスペ
そういうシステムだったんですね
山岸秀匡

そうだから、そういう選手には向こうからコンタクトとってきたね。徐々に俺も10位以内とかに入りだしたりしてね

2009年から「ギャスパリ(Gaspari Nutrition)」とスポンサー契約してるんだけど、だんだんコンテスト出るうちにそういう業界の人達に会う訳だよ

で、会って他の選手とも話したりして、そのIRIS KYLE(アイリス・カイル)との共通の友人のCATHY LEFRANCOIS(キャッシー・ラフランソワ)って言う、これも女性ではトップの選手だった人なんだけど、その人がいて

山岸秀忠

彼女がギャスパリの選手だったの、その家に俺も一緒に住んでたからさ、それでギャスパリの製品も使ってたわけよ

そして、ギャスパリの人とも話したりして「RICH GASPARI」がカリフォルニアに初めて来た時に俺も会ってるのね

ただその時は、リッチは俺のトレーニングパートナーに興味があって、ただ彼は当時一番デカかったマッスルテックって言うのとサインしたんだよね

山岸秀忠

だからギャスパリは、そこで違う選手を探しててその何年か後に俺が上がってきた時に、リッチと話があって契約したの

ただその時は、別に俺がリッチにお願いしたというよりは、成績が出てきてリッチも俺の人柄を知ってたから「当時は、ボディビルダーは契約したら、もうふんぞりかえって写真撮影だけすれば、お金が貰えるっていう時代」だったの

成績さえ出していればお金が自動的に入ってくる流れになってたから、今みたいに自分でSNSで営業しなくてもよかった時代だよね

山岸秀忠

そうだったんだけれども「ギャスパリに関しては、リッチがボディビルから苦労して立ち上げた」っていう歴史があるので、リッチは「ボディビルダーも働かなきゃいけない」って言う方針だったわけ

だから俺も試飲会とか「お店に自分で電話して、何日に行きます」って、それでギャスパリに行ってそれでセールスまでやってたのよ、それは週末に2週間に一回ぐらいはやってたかな

こんな感じで試飲会をやってたんだよね
アナスペ
そんな頻度でやってたんですね
山岸秀忠

それも決められてて、規約に入ってて

ただ当時は、契約の良かった点としては月々のベースのお金があるから「最初は月に6000ドルぐらいは貰ってたかな」それで6000ドル貰えたら、今度はコンテストでボーナスというのがあるわけ

で、トップ3に入ったら賞金(大体3位3000ドル・2位5000ドル・優勝10000ドル)とかかな小さいとこだと。それぐらいなんだけれども、優勝したらダブルになってたね。ボーナスで10000ドル貰えたり、勿論交通費は全部出してもらえるし、だから俺は1シーズンに8試合出たりしてたんだよ、当時

2016年「ARNOLD CLASSIC 212」優勝
アナスペ
8試合も・・・コンテスト1試合あたり費用も当然かかってしまいますよね
山岸秀忠

その通りで、それを自腹で出すとなると「一回のコンテストで、交通費とかホテル代とか食費含めると大体50万円ぐらいお金がかかるから」それはだから本当にギャスパリのサポートがあって出来たこと。後の収入源は「雑誌」かな

雑誌も当時、トップ選手を契約して専属にしてたわけ。だから色んな雑誌に皆最初は出るわけでしょ、写真とかで

でも、もう契約するとその雑誌だけになっちゃうの、写真撮って毎回取材も受けて、そんな感じだね

レポーターみたいな事もやってたよ 笑 色々やったね
アナスペ
そういう契約だったんですね・・・
山岸秀忠

俺は最初、マッスルマグ(MUSCLE MAG)ってのがきて

今はもうなくなっちゃったんだけど、それはカナダの結構でかい会社でそれと3年ぐらい契約したかな

山岸秀忠

その後MD(MUSCULAR DEVELOPMENT)と2年ぐらい契約したかな

それで雑誌からまた幾らか貰えるわけじゃん。その二つだけで俺は生活出来たけれども、後はギャスプ(GASP)

アナスペ
アパレルブランドのギャスプですね!
当時は、今ほど大きくなる前だったからね。懐かしいね・・・
山岸秀忠

そうだね、ギャスプがだんだん大きくなってきた頃で俺は初期のアスリートなのね、だからブランチ(BRANCH WARREN)とかジョニーとか俺が居て少なかったの当時は。

始まりはそんなにいっぱいいなかったんだけれども、俺はそこに入ってそこからも幾らか貰ってたから、10年はそれで行けたんだよね。俺は

アナスペ
非常にやっぱり今と全然違うんで、面白いなっていうか
山岸秀忠

面白いし、時代の流れがすごい早いね

だから当時は、SNSがなかったんだけれども成績さえ出してればお金は貰えたので、実力のある選手にとっては楽な時代たったね

ここまで山岸秀匡さんの「当時のお金の話(契約・広告塔など)」という話題でお伺いしてきました。
どの話題も新鮮で興奮が止まらない話ばかりです・・・
この後(第四回目)ラストとなる話題は、「マインド面や日本と世界の架け橋となった今だからこそ、伝えたい話」を深掘りしていきます!
筋肉記者(アナスペ) : 世界各国のコンテスト情報や選手の本音に迫るインタビューをお届けする「筋肥大する小部屋」を運営。YouTube登録者(1.64万人)を抱える。
「アマチュア時代・プロ時代(プロデビュー戦,ミロシュとの出会い,初めてのオリンピア)・プロのお金の話(契約や広告)・マインド面や今だからこそ伝えいた話」これらの話題をお伺いし、山岸秀匡という人物は、現在に至るまでどのような人生を歩んできたのか、アナスペと共に深掘りしていく