ボディビル競技のレジェンド【山岸秀匡・やまぎし ひでただ】の歴史に筋肉記者(アナスペ)が迫る。スペシャルインタビュー「日本人レジェンドの歩み」
<聞き手=アナスペ>

このページが一番最初だという方は、「ボディビルとの出会い・アマチュア時代」「プロデビュー戦・ミロシュコーチとの出会い」を見ていただくと、より楽しめる内容になっております!合わせてご覧ください。
今日もめちゃくちゃ濃い内容で初めて聞くお話が盛りだくさんです。それでは早速、始めさせていきましょう!
当時のプロボディビルダーの契約内容

今となればSNSがあるので「選手が自ら発信したりアピールして人気になった選手はスポンサーがつく」っていう形はあると思うんですけれども
その当時のボディビルの事を考えると、SNSもなくて、それでどうやって企業とボディビルダーと言う選手としてプロの契約に至ったんですか?

SNSが出てくる前はもっとシンプルでOLYMPIAでトップ10に入ると、まぁシナリオとしては「サプリメントの会社がスポンサーにつく」って言う、既成事実って言ったら変だけどそのようなシステムになってたの



そうだから、そういう選手には向こうからコンタクトとってきたね。徐々に俺も10位以内とかに入りだしたりしてね
2009年から「ギャスパリ(Gaspari Nutrition)」とスポンサー契約してるんだけど、だんだんコンテスト出るうちにそういう業界の人達に会う訳だよ
で、会って他の選手とも話したりして、そのIRIS KYLE(アイリス・カイル)との共通の友人のCATHY LEFRANCOIS(キャッシー・ラフランソワ)って言う、これも女性ではトップの選手だった人なんだけど、その人がいて

彼女がギャスパリの選手だったの、その家に俺も一緒に住んでたからさ、それでギャスパリの製品も使ってたわけよ
そして、ギャスパリの人とも話したりして「RICH GASPARI」がカリフォルニアに初めて来た時に俺も会ってるのね
ただその時は、リッチは俺のトレーニングパートナーに興味があって、ただ彼は当時一番デカかったマッスルテックって言うのとサインしたんだよね

だからギャスパリは、そこで違う選手を探しててその何年か後に俺が上がってきた時に、リッチと話があって契約したの
ただその時は、別に俺がリッチにお願いしたというよりは、成績が出てきてリッチも俺の人柄を知ってたから「当時は、ボディビルダーは契約したら、もうふんぞりかえって写真撮影だけすれば、お金が貰えるっていう時代」だったの
成績さえ出していればお金が自動的に入ってくる流れになってたから、今みたいに自分でSNSで営業しなくてもよかった時代だよね

そうだったんだけれども「ギャスパリに関しては、リッチがボディビルから苦労して立ち上げた」っていう歴史があるので、リッチは「ボディビルダーも働かなきゃいけない」って言う方針だったわけ
だから俺も試飲会とか「お店に自分で電話して、何日に行きます」って、それでギャスパリに行ってそれでセールスまでやってたのよ、それは週末に2週間に一回ぐらいはやってたかな



それも決められてて、規約に入ってて
ただ当時は、契約の良かった点としては月々のベースのお金があるから「最初は月に6000ドルぐらいは貰ってたかな」それで6000ドル貰えたら、今度はコンテストでボーナスというのがあるわけ
で、トップ3に入ったら賞金(大体3位3000ドル・2位5000ドル・優勝10000ドル)とかかな小さいとこだと。それぐらいなんだけれども、優勝したらダブルになってたね。ボーナスで10000ドル貰えたり、勿論交通費は全部出してもらえるし、だから俺は1シーズンに8試合出たりしてたんだよ、当時



その通りで、それを自腹で出すとなると「一回のコンテストで、交通費とかホテル代とか食費含めると大体50万円ぐらいお金がかかるから」それはだから本当にギャスパリのサポートがあって出来たこと。後の収入源は「雑誌」かな
雑誌も当時、トップ選手を契約して専属にしてたわけ。だから色んな雑誌に皆最初は出るわけでしょ、写真とかで
でも、もう契約するとその雑誌だけになっちゃうの、写真撮って毎回取材も受けて、そんな感じだね



俺は最初、マッスルマグ(MUSCLE MAG)ってのがきて
今はもうなくなっちゃったんだけど、それはカナダの結構でかい会社でそれと3年ぐらい契約したかな

その後MD(MUSCULAR DEVELOPMENT)と2年ぐらい契約したかな
それで雑誌からまた幾らか貰えるわけじゃん。その二つだけで俺は生活出来たけれども、後はギャスプ(GASP)



そうだね、ギャスプがだんだん大きくなってきた頃で俺は初期のアスリートなのね、だからブランチ(BRANCH WARREN)とかジョニーとか俺が居て少なかったの当時は。
始まりはそんなにいっぱいいなかったんだけれども、俺はそこに入ってそこからも幾らか貰ってたから、10年はそれで行けたんだよね。俺は


面白いし、時代の流れがすごい早いね
だから当時は、SNSがなかったんだけれども成績さえ出してればお金は貰えたので、実力のある選手にとっては楽な時代たったね