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【山岸秀匡(ビッグ・ヒデ)】のプロ時代を筋肉記者(アナスペ)が掘り下げる。「スペシャル取材 : 日本のレジェンドの歩み」

ボディビル競技のレジェンド【山岸秀匡・やまぎし ひでただ】の歴史に筋肉記者(アナスペ)が迫る。スペシャルインタビュー「日本人レジェンドの歩み

筋肉記者(アナスペ) : 世界各国のコンテスト情報や選手の本音に迫るインタビューをお届けする「筋肥大する小部屋」を運営。YouTube登録者(1.64万人)を抱える。
「アマチュア時代・プロ時代(デビュー戦,ミロシュとの出会い,初めてのオリンピア)・プロのお金の話(契約や広告)・今だからこそ伝えいた話」これらの話題をお伺いし、山岸秀匡という人物は、現在に至るまでどのような人生を歩んできたのか、アナスペと共に深掘りしていく
  1. ボディビルとの出会い・アマチュア時代
本日のゲストは、数々の金字塔を打ち立ててきた「ビッグ・ヒデ」の愛称で愛される山岸秀匡さんです。

<聞き手=アナスペ>

【山岸秀匡・やまぎしひでただ】高校時代ラグビーの補強でウェイトトレーニングを始める。その後、早稲田大学への進学と同時にラグビー競技に一区切りをつけ、ボディビルの世界を目指す。学生時代に全日本学生ボディビル選手権で2連覇を果たすと卒業後には(IFBB PROオープンクラス日本人初出場・アーノルドクラシック日本人初出場、優勝・10回のオリンピア出場など)数々の金字塔を打ち立てる。ビッグ・ヒデの愛称で愛される日本のレジェンドである。

このページが一番最初だという方は「ボディビルとの出会い・アマチュア時代」を見ていただくと、より楽しめる内容になっております!合わせてご覧ください。

今日もめちゃくちゃ濃い内容で楽しみでございます。それでは早速、始めさせていきましょう!

2005年のプロデビューの思い出

アナスペ
プロデビューを飾ったのは、2005年の「IFBB アイアンマン・プロ」ですよね
山岸秀匡

そうだね、それもね当時俺怖いもの知らずだったから、というのも情報があんまりなかったので

「プロというのは、どれほど凄まじいと言うか」勿論ビデオとかは見てるから、一応スクリーンの中では見てたけれども、実際に目の前で見た事がなかったからね。そのコンテストやコンディションを

だから、俺はちょっと甘かったというか「現状を知らなかったから出来た」と思うんだけれども、それでも2年トレーニングして身体は一回り大きくなったのよ

2005年IRONMAN・PRO「プロデビュー直前の山岸プロ」
山岸秀匡

今まで80キロぐらいで出てたのが、90キロになってたから、まぁ10キロ増えたわけ、2年で・・・

だから「これでやってみましょう」と言う事でアイアンマン行って、そしたらまぁ現実を見て「恥ずかしいと言うか、恐ろしいと言うかね

「この人達とステージに一緒に立つ資格はない」って言うのは、すぐにわかったの・・・コンテスト始まる前から

2005年IRONMAN・PRO「プロデビューの時の上位選手達」
山岸秀匡
それがプロデビュー

Milos Sarcev(ミロシュ・シャシブ)との出会い

アナスぺ

その恐怖と言うのは、2005年にプロデビューを果たしてその後もどんどん大会に出てたと思うんですけれども

いつ頃までその恐怖と言うか不安って言うのは続いてたんですか?

山岸秀匡

2006年、翌年にもう一回同じ大会(アイアンマン)に出て、同じ成績

その時もまぁ流石に恐いって思いはなかったんだけれども、プロとして恥ずかしいって感じだね

山岸秀匡

だから、アメリカだったらトップアマチュアにも勝てないような身体をしてたから、これだったら「アメリカだとプロカードとれませんよ」っていう状況だよね

そういう状況で共通の友人が「Milos Sarcev(ミロシュ・シャルチェブ)」を紹介してくれたんだけど、その時はミロシュの方からE-mailで連絡くれて

偶然、ミロシュがコンテストを見にカリフォルニアに来てたから、ミロシュのジムに行ってその日から一緒にトレーニングを始めたわけ。

Milos Sarcev(ミロシュ・シャルチェブ)
現セルビア(旧ユーゴスラビア)出身のボディビルダーであり、選手として10度の出場権獲得。引退後は、指導者として数々の選手をトップへと導いてきた世界的なコーチ。(*本人より日本語表記はミロシュ・シャルチェブに変更となりました)
山岸秀匡

そしたら、そのアイアンマンから1か月後のサンフランシスコ・プロで身体が自分でも信じられないぐらい変わって、それでその時に初めて11位という順位がついたんだよね

15位以内ってのが一応順位がつくから、16位以下だと以下同位でしょ。だからそこで初めて順位がついて「順位がつくことが目標だったから」プロなんで

優勝とかそういうのじゃないよ、順位がつくことにとにかく自分でも驚いたし、周りに来てた日本の人も「最初プロデビューの時は50人ぐらい来てくれたのよ、日本から」だけどそれで全く通用しないから「ダメじゃん」って事で来る人も減ったんだけど、やっぱり親しい人は何人か来てくれてそれで大変な事になったって事があったね

山岸秀匡

それで一応日本からプロが出たけど、そういう順位がつくって俺も含めて誰も予想してなかったから

当時はだからオリンピアって言うのは「夢と言うかあり得ない世界」俺もその時になれば最初はそんな事も考えてなかったんだけれども、2年目ぐらいになったらこれはあり得ないなって思う事もあって、ただ2006年の春にミロシュと一緒にやり始めてからその意識が変わったんだよね

アナスぺ
ミロシュさんと出会ってから「アメリカに単身で行こう」と決意されたと言う事なんですか?
山岸秀匡

その通りでミロシュとトレーニングしないと「これはダメだろう」って事になって

常にミロシュのところでやりたいってなったら移住しないとダメだからね

アナスぺ
それは具体的に気持ちの面で変わった部分もあったりとか、何が具体的に変わったんですか?

ミロシュとの出会いで何が変わったのか..

山岸秀匡

テクニカルな面では「食事の量が圧倒的に多くなった」俺は今まで調整は、勿論食べてたけれども食事を減らすという認識しかなかったから

やっぱりボディビルは、痩せコンテストではなくて筋肉をいかにデカくするかだから食べなくちゃいけない

ミロシュのトレーニングは、ジャイアントセットでこれは皆も知ってると思うんだけれども、これをこなすにはそれなりのエネルギー源も必要、炭水化物やたんぱく質の量も格段に増えて食べるのが大変だったんだよね

【ジャイアントセットとは?】
一つの部位に対して4種目以上のエクササイズを間隔をあけずに連続的に行うもの。ミロシュ・シャシブがとり入れ、多くのプロボディビルダーが効果をあげた方法である。
山岸秀匡

それまで食べるのが大変だって事はまぁなかったんだけれども、マズい鶏肉を食べなくちゃいけないってのはあったんだけど 笑

量をそれだけ食べなくちゃいけないって事にまず驚いた。それと後は、メンタルの面で言うとミロシュは当時抱えてる選手を一緒にやらすって事をやってたわけ、ジャイアントセットを

例えば、俺が最初にいった時は5,6人で10種目をグルグル回してたわけだけれども、その時いた人は前のコンテストに俺と一緒に出てた人もいたわけよ。彼らは圧倒的に一目見ただけでも一回りぐらい俺よりデカいんだけれども、初日のトレーニングで脱落したの皆、脱落というか諦めたんだよね

山岸秀匡
それを見て俺は「これは俺は練習量だけは絶対に負けない」と思ったんだよ
アナスぺ

それカネキンさんのインタビューでも言ってて「俺の方がハードにトレーニング出来るじゃねぇか」と思ったって言うのを聞いて、すごいカッコいい言葉だなと思ったんですけど

山岸秀匡

これは日本の人は、誇るべきなんだけど日本にいるからわからない事も多々あるよね「練習量とか練習のねちっこさは」

特に昔俺は「中野ヘルスクラブ」ってとこでやってて、特にトレーニングがねちっこいでしょ

あれは当時の小沼敏雄さんとか谷野義弘さんとかそういう選手のやり方を真似してやってて、それは良いか悪いか別として俺はそれで効果が出たから、それにプラスして食事が増えたわけでしょ

山岸秀匡

だからもの凄い効果が出たね

だからやっぱり、トレーニングは今まではそのジャイアントセットではなかったけど、強度と言う事に関してやってる事間違ってなくて

他の選手はそれほど練習してないなと言うか「それほどメンタルが強くない」って事が分かったので、そこで意識が変わったんだよね

初めてオリンピアの舞台に立ったとき

アナスペ

そして、2007年にアジア人初のミスターオリンピアに出られたと思うんですけれども

プロデビューまもない時は、恥ずかしいとか怖いとかそういった気持ちがあるとお伺いしたんですけど、「オリンピアに挑んだ時はどういった気持ちだったんですか?

山岸秀匡

その時はねぇ、まだやっぱり「ミロシュに言われたままやってたわけ、俺は」

その期待してるとかもなかったし、だからボディビルやってて楽しかったと言うか一番幸せだった時期で、今が楽しくないわけじゃないよ

別に勝っても負けても「全てが楽しくてしょうがなかった」その頃は、アメリカに住んでスポンサーがついてボディビルだけの生活してたから、だからお金も別に裕福じゃないけど、生活する分には「トレーニングして、ご飯食べて、寝る」っていう生活が出来ていたので

あの時は、とにかく毎日が幸せだったね
山岸秀匡

それにカリフォルニは天気が良いじゃない、それで本当に楽しかったね

だから、オリンピアに出ても優勝するとかトップ10入るとかそういうのなくて、「結局13位とか14位とかだったんだよね」

身体に関しても今考えると、2007年から2010年の3年4年が俺のピークだったと思うんだよ。そのサイズってことを考えると

山岸秀匡

今、2007年の写真見ても「こんなに俺ってデカかったんだ」って思うくらいサイズがあったし、やっぱり若かったから身体に張りがあった

それもあって当時は、それに対する理解がなかったから、だからミロシュに言われた事をやって毎日楽しんでやってただけなんで、だからね逆に言うとあんまり記憶がないと言うか、これ湯浅君にも言ったんだけど「結構、いつも先を見てて」オリンピアに出ても次の年の(アイアンマン)の事を考えてたり、その時からね

2007年OLYMPIA「初出場」
山岸秀匡

だから「一つ一つを楽しむというよりは、先急いでたかな」っていう、選手だったらそれが普通なのかもしれないけど、やっぱり満足しないというかね

だけど今考えれば「もうちょっと一個一個を楽しんでも良かったかな」ってのはある。

ここまで山岸秀匡さんの「プロデビュー・ミロシュコーチとの生活・初めてのオリンピア」と言う話題でお伺いしてきました。
表面的にはわからない、当時の気持ちや想いの部分を聞く事ができて言葉にならない感情が溢れ出てきています・・・この後(第三回目)は、プロとして生活する上で切り離すことの出来ない「スポンサー契約・アスリート契約・アパレルの広告塔など」当時の秘話まで掘り下げていきます。
筋肉記者(アナスペ) : 世界各国のコンテスト情報や選手の本音に迫るインタビューをお届けする「筋肥大する小部屋」を運営。YouTube登録者(1.64万人)を抱える。
「アマチュア時代・プロ時代(デビュー戦,ミロシュとの出会い,初めてのオリンピア)・プロのお金の話(契約や広告)・今だからこそ伝えいた話」これらの話題をお伺いし、山岸秀匡という人物は、現在に至るまでどのような人生を歩んできたのか、アナスペと共に深掘りしていく